『次の世代に何かを残す』出会い

HALのvisionは『次の世代に何かを残す』です。
このvisionを実現するため、我々HALは、ビジョンの方向が同じ企業、団体、個人と一緒に活動していきたいと考えています。
本コンテンツはその対談シリーズ第3弾。
代表の佐藤が、HALのビジョンに共感して下さる方をお迎えして、対談をします。

今回は、徳島県海部郡海陽町で、創業100年を超える衣料メーカーである、株式会社トータスの亀田悦子専務に、お話しを伺いました。
国内生産にこだわり、自社の農業部門で無農薬の藍葉を育て、自社工房で藍染をおこない、肌着を自社で製造し、販売されています。
昨年「ガイアの夜明け」にご出演された亀田専務は、藍の研究をはじめ、EM菌を用いた商品の研究開発、自社商品の販売などで、日々全国を駆け回っていらっしゃいます。

― 藍の癒やしに魅せられて ―

佐藤)
「専務、今日も素敵なお洋服ですね。全てご自身で染められた藍染めですか。」

亀田専務)
「そうです。もう白い布は、全て染めたくなってしまって。笑。」

佐藤)
「すてきな職業病ですね。笑。とってもお似合いです。」

亀田専務)
「笑。有り難うございます。」

佐藤)
「今や藍染めや藍に関わる様々な研究や藍の無農薬栽培など、活発にご活動される専務ですが、藍染めをはじめようと思ったきっかけは、どんなものだったのでしょうか。」

亀田専務)
「トータスでは、肌着メーカーとして、肌着を『第二の皮膚』と思って作ってきました。その上でお客様から最もよく受けてきた相談に、アトピーがありました。」

      

多く寄せられるアトピー症状の相談に、「どうしてあげたらいいのだろう」と悩んでいた頃、町役場の展示会で見事な藍染めが目に留まる。地元の染色作家が福祉施設で染色指導した、障碍のある子どもたちの手による藍染めだった。
聞けば、藍染めの殺菌作用がアトピーに効果があるという。
それがはじまりだった。

亀田専務)
「その藍が500〜1000円で道の駅で販売されていると聞いてショックを受けました。
アトピーに効果のある藍染めを通じて、障碍のある方々へもお金が入るような仕組みが出来ないだろうかと。そんなきっかけではじまりました。」

― 染色技法の開発 ―

佐藤)
「専務はいま、すくもでなく生葉でもない独自の染色技法をお持ちでいらっしゃいますよね。独自の染色技法開発にいたる、いきさつをお伺い出来ますか。」

亀田専務)
「あるとき、一番商品を出している工場で、藍を建てる先生が失敗をしました。藍は簡単に失敗するのです。壺の中で藍が思い通りに建たなかったり、染色がうまく行かなかったり。先生は、一俵分の12万5千円を、自分で弁償するとおっしゃいました。これがきっかけで、もっと違う作り方は無いのだろうかと思ったのです。そんなとき、ヒントとなる本に出会いました。ベトナム、モン族の写真集でした。」


写真:藍染の民族衣装を身に纏ったモン族親子 (ベトナム,ラオカイにて)

亀田専務)
「この藍の村では、庭先に藍を植え、どこの家にも壷が有り、職人でもない主婦が染めているのです。ぬか漬けをつくるように。
「これだ!」と思いました。これを日本でできるようにしたい、と思ったのです。」

佐藤)
「そうして独自の染色技術を開発しようと思ったわけですね。」

亀田専務)
「研究中はよく寝袋を持ち込んで泊まり込みました。主人には「しょうもない事をするな」と怒られましたが、いざ研究を始めるとき、工場を設計し作ってくれたのも主人でした。
ここが、出発点です。多くのプロの方々が、こんな田舎の海部に来てくださり、研究をはじめました。それが、今のこの海部の工場なのです。」       

佐藤)
「もともと藍染めの藍って、微生物で出来ていますよね。
植物の持っている色素が、布に付着してなされるのではなく、微生物自体が、吸着し酸化し、色になってゆく。」

亀田専務)
「その通りです。いかに発酵するかが最も重要です。
研究で解ったのですが、もともと微生物は藍の葉の中にいたのです。
発酵して布を藍色に染め上げるために必要な成分であるインディカンが、葉の中には沢山入っていました。
そうして研究を進めてゆくなか、最終的に、藍は自分の力で発酵してしまいました。「亀田菌を入れたんですか」なんて言われました、笑。
...試験管の中だけの条件と、あの大きな壷の中の条件では違うのです。」

佐藤)
「大きな空間の中で増量したとき、それは発酵条件が色んな意味で整い、一気に発酵する。お酒とかも一緒ですよね。」

亀田専務)
「博士たちには、こんな事はあり得ないと言われました。様々な条件を並べられましたが、うちの工場は寒い時はマイナスにもなるし、暑い夏は50度に近くなる事もあります。
まあ、藍たちは、「ふつうの時」に発酵してくれるのです。笑」

佐藤)
「こうして生葉でもすくもでもない、『海部(あまべ)藍』という染色法が確立したのですね。」

― 自然農法で、衣から医へ ―

佐藤)
「専務は、農薬にたよらない藍の栽培をスタートしていますよね。」

亀田専務)
「無農薬の藍が無かったので、「無いなら自分でつくろう」ということではじめました。
海部の工場の直ぐ近くにある、虹の作業所という3,4人の小さな福祉施設では、既に藍の栽培を始め、いまでは自社内に農業部門があります。」

佐藤)
「専務はいま医学的な研究もされていますね。」

亀田専務)
「はい。3年前、東京女子医大の先生から予防医学会で、基礎体温が上がるなどの医学的な立場からの藍のお話をさせていただいた事がきっかけでした。
今では、お医者さまから藍染めでシルクの包帯が出来ないかと言われています。傷口に付着せず、化膿が抑えられるためです。」

佐藤)
「昔から武士はそのために藍を身につけていましたからね。もともと本来あった姿に、戻ってきているのですね。」

藍で身を包むことで、基礎体温の上昇など様々な効果が報告されている。
藍の建てた空気を吸うだけで違うという方も。検証はまさにこれから。

― いんべあまべの手と手を繋ぎ ―

亀田専務)
「いまは『かいふ』と読む海部ですが、徳島には『いんべ』『あまべ』という古い歴史があります。600年頃の話とされています。
奈良の朝廷の神事を受け持っていた、徳島は吉野川の上流の方から来た『いんべ族』という豪族。
徳島には日本で唯一、大麻比古神社があります。この神社は、『いんべ族』にとって、とても大事な場所でした。」

佐藤)
「麻と藍には昔々から特別なつながりがありますよね。」

亀田専務)
「そうなのです。麻は藍と結びつく事でより強い素材となります。
『いんべ族』の人口がだんだんと増えていき、新しい新天地を探さねばならなかったとき、彼らを運ぶ手伝いをしたのが航海技術を持つ『あまべ族』でした。 その『あまべ族』が居たのが、今私たちが住んでいる海部です。彼らは南から来た海洋民族でした。」

亀田専務)
「昔の戦前の徳島県民歌や、徳島県河内中学校校歌にはこんな一節があります。

「忌部海部の手と手を繋ぎ 南北文化の力をあつめた 血脈 この血を承けて 真理を探り 平和を築き 名誉あがる」

私はこの一節がとても好きでした。彼らの遺跡を掘ると、農機具ばかりで武器がでて来ない。彼らは『平和の民』だったのです。
彼らは武器の代わりに種を大事にし、何処へゆくにも種を持ち歩く民族でした。『あまべ』の人々は優れた航海術を持ち、海南の黒杉を用いて船を作り、『いんべ』を運んだと言われています。」

佐藤)
「海部は現在でも、世界で有数なサーフスポットですよね。はるか昔と同じように、いまも海部には、波を乗りこなす若者たちがいる。
波に乗ってやって来て、いまや藍と麻を導く、トータス社員でサーファーの永原レキさんは、まさに『あまべ族』ですね。」

― 今後の(株)トータスとHAL ―

佐藤)
「今後は、新商品の開発プロデュースを通し、経営のご相談などについてもご一緒できると思います。」

亀田専務)
「ありがたいです。よろしくお願い致します。」

佐藤)
「海部はむちゃくちゃ良い場所ですから。専務のところへ行きたい、移住したいって言う人が何十人もいると思いますよ。
それを受け入れる箱を作るのが経営者としての1つの仕事だと思います。専務には大きな夢があって、それを支援したいと思ってくれる人がたくさんいますから!
ぜひ今後とも、よろしくお願い致します!」

亀田専務)
「本当に有り難い事です。今後ともどうぞよろしくお願い致します。」